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意識とは何か 唯心論への回帰から考える | WIRED - WIRED.jp

メガン・オギーブリン

ウィスコンシン州在住のライター。

わたしたちは科学のために心を犠牲にしなければならなかった。この取引は、17世紀にデカルトとガリレオが「意識」を実証的研究に適さない主観的な現象と見なしたことで成立した。もしこの世界を物理的な因果関係のみに還元できるなら、すべての精神的経験──意図、行為主体性、目的意識、意味づけなど──は、唯物論の枠組みのなかでは説明のつかない二次的な存在だ。そうして世界はふたつに分かれた。心と物質だ。

この二元的な考え方は、啓蒙思想の出現につながり、その後数世紀の技術的および科学的進歩への道を切り拓いた。しかし、心を巡る問題は棚上げされただけで解決されていないのではないかという不安は常に付きまとった。18世紀初め、ドイツの哲学者であり数学者であったライプニッツは、知覚はすべて機械的な仕組みであるという説を受け入れられなかった。もし思考と感情を生み出せるマシンが存在し、それが工場のように大きくて中を歩けるとすれば、そこにあるのは無機質な歯車やレバーだけだろうと彼は述べた。「互いに作用し合う部品なら見つかるだろうが、知覚を説明するものは決して見つからないだろう」

現代は心を工場というよりコンピューターとして考えるほうが一般的だが、その点を除けば、問題はライプニッツが300年前に提起したかたちとほぼ変わらず存在している。1995年、哲学界の「ロックスター」と呼ばれるぼさぼさ頭のオーストラリア人、デイヴィッド・チャーマーズが意識を「ハードプロブレム(難しい問題)」と呼んだことは広く知られている。脳による情報の統合、注意の集中、記憶の保存などの比較的「易しい問題」と区別するための表現だ。神経科学者たちは、fMRI装置などの機器を利用して、これら易しい問題の解明においては大きな進歩を遂げてきた。一方で技術者は、人工の神経ネットワークをつくって脳の仕組みを見事に再現してきた──その人工知能(AI)の能力によって、知能と意識の違いがいっそう浮き彫りになったのだ。

いまやAIはチェスや囲碁で人間に勝つことができる。人間の医師と同様にがんの発生を予測し、プロの監査人より正確に金融詐欺を察知することもできる。しかし、知能や判断が主体の自覚なしに機能できるのならば、意識を司るものとは何なのか? この疑問に対してチャーマーズは、それは意識の生成に関連する脳内の処理プロセスを見つけるだけで解明できる問題ではないと言う。処理プロセスがわかったところで、なぜそれが意識と関係するのか、なぜそれが別の経験ではなく特定の経験をもたらすのか、または何ももたらさないのかについて説明はできないというのだ。

心は幻なのか

還元主義者のなかには、この「意識のハードプロブレム」はそれほど難しいものではなく、むしろ考える必要すらないのではないかと主張する者もいる。神経科学者で心理学者のマイケル・グラツィアーノは近書『Rethinking Consciousness: A Scientific Theory of Subjective Experience』で、意識とはヒトが生存のためにつくり出した錯覚にすぎず、脳の情報処理プロセスを単純なかたちにモデル化するインターフェースだと指摘している。彼はこの機能を「アテンション・スキーマ(注意力図式)」と呼ぶ。

彼の理論によれば、わたしたちは脳の特性であるアテンション・スキーマによって自分の精神活動を管理している。アテンション・スキーマは主体の注意がどこに向けられているかを常に把握し、将来的にどこに向きそうか主体に予測させる。ほかの精神機能が、例えば空間における腕と脚の位置を管理するようなものだ。アテンション・スキーマの働きによって脳の電気信号や計算上の複雑なノイズが精神活動という単純なかたちにまとめられるので、わたしたちは心が実体のない存在だと思い込んでしまう。「ボディ・スキーマ(身体図式)」の働きによって、人は腕を失ってもまだそこに腕があると錯覚するのと同じで、「心」も幻肢のようなものだとグラツィアーノは主張する。「体の幻か、脳内の幻かの違いです」

ほとんどの人はこの理論を奇妙だと感じるのではないだろうか。しかしその一方で、すでにわたしたちの多くは、程度に差はあれ、自分の心の正体がわからなくなってきているようだ。ここ最近の「マインドフルネス[編註:『いまこの瞬間』に注意を向けるという考え方]」の人気も、わたしたちはマシンと同じ働きをもつ何かを傍観しているにすぎず、意識とは苦労してようやく一瞬だけ呼び覚ますことができるものだという考えが表れているのかもしれない。日中の気だるさに襲われたときには、謎めいた精神状態に原因があると考えるより、わかりやすくお腹の不調やグルテン不足のせいにしてしまうほうが多いものだ。

それでは、あくまでも自然科学の観点から「意識」の存在を説明するにはどうすればよいのか? おそらく唯一の選択肢は、心は物質世界と一体なのだと結論づけることかもしれない──つまり、すべてのものに意識があるということだ。ニューエイジ的なたわごとのように聞こえるかもしれないが、この意識の「統合情報理論(integrated information theory)」、略してIITと呼ばれる考えは、この分野における理論のうち近年では最も有望なもののひとつだと広く考えられている。その先駆者のひとりである神経科学者のクリストフ・コッホは、近著『The Feeling of Life Itself: Why Consciousness Is Widespread but Can’t Be Computed』で、意識は人間固有のものではなく、すべての動物と昆虫、さらには微生物のなかにも存在すると述べている。

大胆な発言をするヴェジタリアンのコッホは、かねてから動物も人間のように意識をもっていると主張してきたが、本書では生態系のはるか下位までその範囲を拡げた。統合情報理論の中心となるのは、意識は存在するかしないかで定義できるものでなく、連続体であるという考えだ。つまり、一部の「生物系」がほかの生き物よりも強い意識をもつという状態である。コッホの説によると、ミツバチ、クラゲ、幹細胞から生まれた大脳オルガノイドなど、わたしたちが長い間意識をもたないと考えてきたあらゆるものも「ちょっとした体験」をしているかもしれない。原子や素粒子でさえ「心をもつ物質」かもしれないのだ。

この理論は「汎心論」という言葉でも表せる。つまり、意識は自然界のあらゆる場所に存在するという考えだ。コッホは前述の著書で後半の数章を割いてこの哲学を論じ、ライプニッツ、ウィリアム・ジェームズ、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドなど、彼と同じように物質と魂はひとつのものだと考えた思想家たちのなかに名を連ねた。この理論では、二元論に伴う面倒な解釈が必要ない。つまり、コッホの主張によると、汎心論においては「精神が肉体からどのようにして生じ、肉体が精神からどのようにして生じるかを説明する必要性が優雅に排除される。ふたつは共存しているからだ」

しかし、考え方がいくら優雅で美しくても、それが科学として優れているとは限らないと思えるかもしれない。また、おそらくそれよりも懸念されるのは、コッホの主張にはより根源的な、世界に神秘性を取り戻させたいという動機が見え隠れすることだ。著書の最終章で彼は、人間は死の宇宙に生きる孤独な意識体ではないという可能性に精神的な支えを感じると告白している。「いまでは、自分の生きる宇宙においては経験という内なる光が西洋の一般的な解釈よりもはるか広くに及んでいるということをわたしは理解している」と述べる。しかし彼自身、この考えについて公に話すときには「君はいったい何を言っているんだ、という視線」を浴びることも多いと認めている。

一方、唯物論者が心について宗教じみた超自然的な説明を避けようとするあまり、しばしば超現実的で抽象的な考えに向かってしまうことは皮肉だ。グラツィアーノが著書の一節で述べた内容もやはり突飛だ。それは、アテンション・スキーマ理論によれば、人は自分の心をコンピューターにアップロードしてデジタル形態で永遠に生きることができるかもしれないというものだ。

将来的に脳スキャンによって個人の脳の活動パターンとシナプスをデジタル処理でシミュレートすれば、それは主体の自意識に相当するはずだという。このような一見空想的な考えを展開する際、グラツィアーノはコッホのような叙情的な表現を織り交ぜながらテクノロジーを語る。「心とは、美しいほど複雑に絡み合いながら絶えず変化を続ける1兆本の情報の糸が織り成す彫刻である」と彼は述べる。「それでも、ファイルをコンピューターから別のコンピューターにコピーするように、心のあらゆる要素は別の情報処理装置にコピー可能だ」

これらの考えが奇妙だからと言って、根拠の正当性や理論そのものの価値が損なわれるわけではない。わたしはコッホとグラツィアーノの著書を読みながら、2013年に哲学者のエリック・シュヴィッツゲベルが生み出した「クレイジイズム(狂気説)」という言葉を思い出した。それは、意識に関するあらゆる理論は、たとえ正しいとしても、まったく狂った考えのように思えるという説だ。

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March 20, 2020 at 05:00AM
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